環翠楼の歴史

環翠楼の歴史

徳川家から寄贈された宝物 (1)和宮様の遺品

歴史と共に磨き込まれた床と階段 (2)歴史と共に磨き込まれた床と階段

露天風呂への石畳の道 (3)露天風呂への石畳の道

クラシックなインテリア (4)クラシックなインテリア

美しい自然を眼下に望む (5)美しい自然を眼下に望む

文化財に指定された建造物 (6)文化財に指定された建造物

環翠楼の歴史 世界の歴史
慶長19年(1614)
箱根塔ノ沢に湯治場として開湯する。当時の名は「元湯」小野湖山(幕末明治期の志士、漢詩人)の書に水戸光圀公登楼の記録があるが何年かは定かではない。
慶長14年(1609)
ガリレイが天体望遠鏡を発明。ドイツのケプラーが天体の三法則を発見。
元和4年(1618)
箱根宿が設立。
この時代は滞在の湯治客のみとなっており
現在の1泊2食などの一夜湯治客は禁止。
元和4年(1618)
ヨーロッパにて、三十年戦争(~1648)が起こる。
元和5年(1619)
箱根関所を置く。
元和6年(1620)
イギリスの清教徒がメイフラワー号で北米に移住。
寛永19年(1644)
皇室や将軍への献上湯が始まる。
寛永18年(1643)
フランス、ルイ14世の治世。(~1715)
延宝8年(1680)
箱根山中の東海道に石畳を敷く。
延宝8年(1680)
フランスベルサイユ宮殿が完成。
文化2年(1805)
温泉の一夜湯治が公認される。
(現代の1泊2食が許されるようになる)
文化元年(1804)
ナポレオン皇帝が即位。
文政9年(1826)
オランダ通商使節のシーボルトが箱根を視察。箱根の動植物を採取し自然に触れ、箱根細工に感嘆する。
文政10年(1827)
ドイツのオームが「オームの法則」を発表。
慶応4年(1868)
箱根戌辰戦争起こる、箱根関所より湯本山崎で戦う。
慶応3年(1867)
アメリカがアラスカをロシアから買収。スウェーデンのノーベルがダイナマイトを発明。
明治6年(1873)
福沢諭吉翁が講演の中で当時の道路事情についてふれ、未整備だった私道(現、国道一号線)を当館主を含めた地元有志たちの手により整備。
明治2年(1869)
スエズ運河が開通。
明治8年(1875)
アメリカの発明家ベルが電話機を発明。
明治10年(1877)
静寛院宮 和宮様が病気療養のため環翠楼へ登楼。環翠楼に村の子供達を招き菓子などふるまわれ村人と親交を深められる。同年当館にて身罷られた。
明治10年(1877)
アメリカのエジソンが蓄音機を発明。
明治13年(1880)
篤姫が和宮終焉の地となった環翠楼に行きたいと登楼。流れる早川を眺めながら号泣されたと言われている。「君が齢 とどめかねたる 早川の 水の流れも うらめしきかな」環翠楼で、その時の心情を句にされ残されています。
明治12年(1879)
エジソンが白熱電灯を発明。
明治16年(1883)
静寛院宮 和宮様が身罷られた後、7回忌に間に合わせるため環翠楼当主と勝海舟が「静寛院宮に奉る歌」として碑に残す。「月影のかかるはしとも しらすして よをいとやすく ゆく人やたれ」「静寛院宮の御たひやとりの折 行人過橋といへる御題給ハりし時よみて奉りぬ」早川の遊歩道に現在もひっそりと建つ。
 
明治17年(1884)
環翠楼改装工事。このときの名は「元湯鈴木」
明治17年(1884)
清仏戦争。(~1885)
明治23年(1890)
伊藤博文翁登楼。「環翠楼」の名前をいただき以後、定宿とされる。同年夏、夏目漱石翁が登楼。長三州翁登楼の際に書を数多く残され定宿とされる。
明治22年(1889)
第二インターナショナルがパリで結成される。パリのエッフェル塔が完成。
明治24年(1891)
ロシア最後の皇帝ニコライ皇帝が斬りつけられる。伊藤博文翁、環翠楼での宴の最中に伝達を受ける。「大津事件」
明治24年(1891)
ロシア・フランス同盟。
明治28年(1895)
日清戦争後講和条約を結ぶため李鴻章翁(当時の中国の大統領)が来日し環翠楼へ宿泊。
明治28年(1895)
ドイツのレントゲンがⅩ線を発見。イタリアのマルコーニが無線電信を発明。
明治37年(1904)
明治中期の江戸相撲を飾った大関大砲萬右衛門力士登楼。その際、環翠楼当主と縁戚になり、定宿として手形を頂戴する。
明治37年(1904)
日露戦争。(~1905)
明治38年(1905)
桂太郎翁(日露戦争時の総理大臣)、東郷平八郎(連合艦隊指令長官)など歴史上人物が多く登楼。
明治38年(1905)
ロシアで血の日曜日事件。孫文らが中国革命同盟会を結成。アインシュタインが特殊相対性理論などを発表。
明治44年(1911) 中国の革命家、孫文翁が中国より日本へ亡命。環翠楼を定宿とする。 明治44年(1911)
清国が滅び、中国の英雄「孫文」が政府大総統に当選。
明治45年(1912)
巌谷小波翁(文学者)パラチフス治癒後に登楼で湯治される。これが縁で当館主と縁戚になり後の関東大震災遭難者追悼碑の碑文(俳句)と書を引き受ける。
明治45年(1912)
中華民国が建国。イギリスの豪華客船「タイタニック号」沈没。
大正5年(1916)
NCR製キャッシュレジスターを購入。当時はアメリカ合衆国デートン市に工場があり船便で運ぶ。現在も帳場で現役使用中。
大正3年(1914)
サラエボ事件。第一次世界大戦が始まる。(~1918)マナマ運河が開通。
大正8年(1919)
環翠楼改築工事(現在の建物)箱根登山鉄道開通。出山の隧道を掘削中に湧き出た水を環翠楼で飲料水として利用。現在も飲料水や食事などで沢の湧き水を使用中。
大正8年(1919)
中国で五・四運動、中国国民党が発足。パリでベルサイユ条約。ドイツがワイマール憲法制定。
大正12年(1923)
関東大震災。箱根も大きな災害を受け環翠楼も一部崩壊。菊池寛、徳田秋声、久米正雄、久保田万太郎ら環翠楼で「新潮」の新作合評会をする。
大正11年(1922)
ワシントン条約。ムッソリーニがイタリアのファシスト政権を樹立。ソビエト社会主義共和国連邦、成立。
昭和11年(1936)
箱根 国立公園に指定される。
昭和10年(1935)
エチオピア戦争。(~1936)
昭和17年(1942)
第2次世界大戦が始まり旅館業一時中止。その間、傷痍軍人の療養所となる。
昭和16年(1941)
ドイツがソ連に宣戦。大西洋憲章。太平洋戦争が始まる。(~1945)
昭和16年(1941)
イタリアが降伏し、ファシスト党が解体。カイロ会談。
昭和20年(1945)
終戦後、旅館業再開。
昭和20年(1945)
ヤルタ会談。ドイツが無条件降伏。ポツダム会談。日本がポツダム宣言を受諾。国際連合、成立。
昭和30年(1955)
秩父宮様、高松宮様登楼。その後定宿とされる。
昭和29年(1954)
ジュネーブ会議。
昭和31年(1956)
箱根全山5町が合併し「箱根町」になる。
 

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